フランスのある批評家(たしかフランスだと思ったがまちがっているかもしれない)が、コナン・ドイルの refugee という、フランスのユグノーのことを書いた小説を批評して、コナン・ドイル、ひいてはイギリス人がフランスの歴史をまるで知らぬといって批難しているのを見ましたが、狭い海一つへだてたフランスの歴史でさえそうだとすると、東洋のことに対する西洋人の知識などはどうも怪しいと判断するのが当然でありましょう。そこへ、もってきて、例のもっともらしい神秘化が行われるのだから、鼻につくこと一通りでありません。
 とはいえ、コナン・ドイルは中々の学者であります。医者、人類学者、各種の収集家らが主人公になっている場合――ホームズその人が常にこれらを兼ねている共通の主人公であるが――氏の博識は、大抵の読者を驚かせるに足ると思います。

 この小さな財産の上に、今村の一切の希望は築きあげられていた。郊外のどこかに、六畳一室に三畳くらいの小ざっぱりした家を建てよう、月に一度位は女房とやがてできるであろう子供とをつれて洋食の一皿も食べに出かけよう、年に一度くらいは芝居も見物したい――安月給取の頭の中を毎日のように往来するこうした小さな慾望が、今村には現実の慾望とはならずに、遠い未来の希望として、描かれたり消されたりしていたのである。ことに家を建てるという考えは、幾度び彼の頭の中で咀嚼され、反芻されたことであろう。彼の脳裡には、もう空想の自宅が、完全に設計され、建造され、建具や家具や装飾をそなえつけられて、主人を迎え入れていたのである。此の自宅は、自分の所有なのだ。家賃を払う必要がないのだ。彼には何だか勿体ないような気がするのであった。おまけに、この幸福な思想の特徴は、何度繰り返して頭に浮んできても決して、平凡な無刺戟なものになってしまうようなことはなくて、いつも、いきいきとした新鮮な姿で現われ、それが浮んで来る度びに、彼の幸福の雰囲気を濃厚にする不思議な力をもっていたことである。

 トルストイは、子供の時分の思い出を書いた中に、甘い菓子を食いながら、ベッドの上に寝ころんで面白い小説を読むのが人生至上の楽しみだったと言っている。汚い話だが、放尿し、脱糞し、浴みしてしかる後に適度な温度の中で(この温度という奴が僕には一番大切だ)、仰向けに寝ころんで(寝ころぶという姿勢は重力に対して最小の努力で抵抗できる)、人事上の心配からすっかりのがれて、必要なだけのポケット・マネーをもって、健康を享楽しながら読書するのは人生至上の楽しみなりと私は言おう。年をとってくるとだいぶ条件がむずかしくなってくる。筆というものは口と同様に重宝なもので、こんな虫のよい条件を並べてだけはみることができるのである。

2016年9月
     
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